どんな神社?
所在地:
福岡県 福津市 宮司元町 7-1
由緒:
創建は、1600〜1700年前と伝わります。
古事記、日本書紀では、神功皇后が朝鮮半島に渡る際、この地に至り、日本海を望む宮地嶽山頂に祭壇を設け天神地祇(てんじんちぎ)を祀って「天命を奉じて、かの地に渡らむ 希(ねがわ)くは、開運を垂れ給え」と祈願のうえ、船出したとあります。
その後、神功皇后の功績を称え、主祭神とし、つき従った勝村大神、勝頼大神とともに「宮地嶽三柱大神」(みやじだけ みはしら おおかみ)としてお祀りしました。
以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもと事にあたれば、どのような願いもかなう「何事にも打ち勝つ開運の神」として、多くの人に崇敬されるようになりました。
神功皇后(じんぐうこうごう)は、第14代仲哀天皇の御后(おきさき)で、応神天皇の母親です。
ご祭神:
息長足比売命(おきながたらしひめ の みこと)〈神功皇后(じんぐう こうごう)〉
勝村大神 (かつむら の おおかみ)
勝頼大神 (かつより の おおかみ)
例祭日:
春季大祭 4月4日〜6日
秋季大祭 9月21日〜23日
灯明祈願祭 10月中旬
御遷座記念祭 10月22日
境内の様子
拝殿
注連縄(しめなわ)は直径2.6メートル、長さ11メートルの大きさです。
社殿
拝殿の右側社殿内には、御神鏡がお祀りされています。
光り輝く、丸い御神鏡を間近にすることができます。
また、右手に掛けられている「奥の宮八社巡り参拝入口」と書かれた横長の案内板下をくぐると、「奥之宮」への参道となります。
宮地嶽神社 奥之宮については神社図鑑のページにて。
本殿
案内板の下をくぐると、御垣の外からですが、本殿をのぞむことができます。
屋根が金色に輝いています。
さらに進むと、須賀神社が鎮座します。
左側は、奥之宮への参道となっています。
宮地嶽神社の見どころ
横穴式石室古墳(よこあなしき せきしつ こふん)
宮地嶽神社の奥之宮神域には、横穴式石室を有する古墳があります。
日本における横穴式石室とは、古墳時代(3世紀中頃 から 7世紀頃)後期、古墳の横に穴をうがち、遺体を納める玄室へ繋がる通路にあたる羨道(せんどう)を造りつけた、石積みの墓室のことをいいます。
宮地嶽神社の奥之宮神域にある石室は全長23メートルにおよび、使われているのは高さ、幅ともに5メートルを超える玄武岩の巨石で、それを積み重ね造られています。
280年ほど前に起きた地震に伴い発見され、中からは特大の太刀(たち)、馬具、瑠璃壺(るりつぼ)、瑠璃玉など、およそ300点が見つかり、うち20点が国宝に指定されています。
なかでも、金銅製の冠に黄金の龍や虎の透かし彫りが施されたものや、金の装飾が施された頭椎(かぶつち)がついた3.2メートルの特大太刀などは素晴らしいそうです。
造られたのは6世紀末から7世紀初めと推定されるそうですが、このような埋葬品から、金の冠をかぶり金の刀装具、馬具で身を固めるような人物、つまり北部九州の大王(おおきみ)が祀られたであろうことが推測されるそうです。
現在は石室の奥にお不動さまをお祀りし、不動神社として崇敬されています。
ふだん、石室をうかがうことはできても、中に入ることはできません。しかし、神社の正式フェイスブック・ページで中を知ることができます。
下記のリンク先で、巨石や通路が写っている写真を見ることができます。
「宮地嶽神社 奥の宮八社」 https://www.facebook.com/okunomiya8
大注連縄
拝殿入り口には、直径2.6メートル、長さ11メートル、重さ3トンの大きな注連縄(しめなわ)が掛けられています。
この注連縄は、昔ながらの御神田で育てられた稲の藁(わら)を、毎年丹精込めて綯(な)い、架け替えるそうです。
大きな注連縄(しめなわ)。左手に見えるのは宮地山
筑紫舞(つくしまい)
古くから継承されている舞。1年に一度宮地嶽神社でも舞われます。今は社殿前で舞われますが、以前は奥之宮神域古墳内の石室で舞われていたそうです。
二百以上ともいわれる全ての舞は、口伝によって伝承されてきたといわれています。
史書『続日本紀』(しょくにほんぎ)の天平三年(731)の記事に筑紫舞の名を見ることができ、歴史ある伝統の舞であることがわかります。
(『続日本紀』は平安時代初期に編纂され、奈良時代の基本史料として知られる史書です。)
「御遷座記念祭」で奉納された「橘」。
このほかにも「榊葉」や、五名の男性神職が宙に舞い上がる場面もある舞などが奉納されました。
アクセスと周辺の様子
博多駅から JR鹿児島本線 小倉方面へ 快速電車25分 各駅停車35分 福間駅下車
福間駅前から西鉄バスで10分 宮地嶽神社前下車
福間駅前から徒歩25分(約2km)
※2018年5月時点の情報です
バス停から数分、参道石段を上がります。
この石段を踏んで、社殿の建つ高台へ向かいます。
石段を上がり振り向くと、向こうに玄界灘を望むことができます。
そして玄界灘から一直線に、こちらへ参道が伸びます。
海辺から800mの直線です。
春の陽光のもと、眩い景観でした。
道の向こうに、少し霞んでいますが、相島(あいのしま)が見えます。
相島には、4世紀から7世紀にかけて造られた254基に及ぶ石積みの古墳群があるそうです。
古墳は海人族の人々による造営が指摘されているようで、宮地嶽神社との関連もあるようです。
「光の道」により、相島と宮地嶽神社が結ばれているのも、偶然ではないようです。
あらためて正面に目をやると、大きく枝を広げた樹があり、鳥居が立ちます。
「御本殿跡」
近づくと「御本殿跡」と刻まれた石碑が立ちます。
現在の本殿が造営される以前は、こちらに本殿が建っていたようです。
石畳の参道にもどり、先へ進みます。
歩みを進めると、緩やかに円錐形をなす山が見えてきます。
宮地山です。
参道途中の狛犬
やわらかな春の陽ざしのもと、満開の桜と眩い若葉に包まれた狛犬が、いまにも”狛犬の舞”でも舞いだしそうです。
楼門の手前、参道右手に手水舎があります。
心身を清め、楼門へと向かいます。
桜咲くなか、楼門を近くから。
楼門をくぐると拝殿は目の前。太い注連縄(しめなわ)が見えます。