宮津(みやつ)弁天宮は中津島神社とも呼ばれ、島のように見える岩の塊の上、高い位置に神社が鎮座します。
昔は、対岸の北海道本土との連絡拠点・見張り拠点として、ここに番所を置いたそうです。
どんな神社?
所在地:
北海道 奥尻郡 奥尻町 宮津
由緒:
文政年間に、宮津地区の漁民が氏神として境内と社殿を建設したのが始まりとされています。
奥尻海峡を望むこの場所は、古くから奥尻島において重要な場所であったことが推測されます。
ご祭神:
宗像三女神のうち
市寸島比売命(いちきしまひめ の みこと)
多岐都比売命(たぎつひめ の みこと)
注記:表記は古事記に依拠しています。当初、弁財天が祀られましたが、弁財天は市寸島比売命と同一視されます。
例祭日:
8月16〜17日
〔神社にある説明書きより〕
この神社は文政年間(1818〜1829)に、宮津地区の漁民の手によって氏神として境内と社殿が創設され、海上安全と豊漁を祈願して弁財天が祀られました。
その後、改めて広島の厳島神社より宗像三女神が祀られ、天保12年(1841)に祭神(長女の澳津島姫命)が奥尻地区に移され、現在の澳津神社となりました。
以降は「宮津弁天社」や「中津島神社」とも呼ばれています。
この岩山には、古くは9世紀頃のオホーツク文化の遺跡(宮津遺跡)や、16〜17世紀頃のアイヌの砦であるチャシ(宮津チャシ跡)が築かれていたと考えられ、その ”チャシ” は ”茶津” (宮津の旧名)の語源になったと言われます。奥尻海峡を行き来する舟を見渡せる場所であり、神社が建立される以前から奥尻島において重要な場所であったと思われます。
本殿は大正2年に改築、昭和45年に新築建て替え、平成11年に改築されています。島内最古の神社祭祀の場所として、また景勝地として重要であることから、町指定有形文化財となりました。
奥尻町教育委員会
神社周辺の様子
長い階段を手すりに掴まりながら下ります。
向こうに見える階段をさらに上がって、社殿に行きます。
下に降りる階段は84段、鳥居から向こう神社に上がる階段は80段あります。
かなり急なので、一歩一歩気をつけて足を運ばないといけません。
鳥居が立つ地点から見上げる階段の様子
とくべつ強いわけではなかったですが、風が吹き抜けるためか、鳥居のしめ縄に取り付けられている紙垂(しで)が横になびいています。
階段上部で、左側に少し回り込みます
社殿
上りきると、このように朱塗りの立派な社殿を目にすることができます。